石川啄木:船に酔ひてやさしくなれる いもうとの


船に酔ひてやさしくなれる いもうとの眼見ゆ 津軽の海を思へば


歌集「一握の砂」に収められている歌です。(309番目)

石川啄木には2歳違いの妹「光子」がいました。
また、2人の姉、「サダ」と「とら」がおり、4人兄妹です。

啄木は明治40年(1907年)満21歳の5月4日、岩手県渋民村を出て北海道函館に向かいます。

途中、妻節子と長女京子を盛岡の実家に降ろし、妹の光子を伴って青函連絡船に乗ります。

現在は青函トンネルが開通していますから、船に乗り換える必要も無いのですが、青函トルが開通し、営業を開始したのは1988年のことですから、啄木の時代には海路を利用するしか方法はありませんでした。

私も青函連絡船には何回となく乗っています。

青函連絡船には、水面の高さより少し高いデッキに貨物列車が格納されます。陸上を走る列車がそのまま走って船に乗り込みます。
客車はそんな仕組みにはなっていません。乗客はいったん列車から降りて、船に乗ります。

一等・二等の客室は上のほうのデッキにありますが、3等客室は、貨物列車の下のデッキ、船底に近いところにありました。

畳やカーペットが敷かれ、客が雑魚寝します。
油臭く、エンジン音が響きます。

船の技術も進んでいなかったでしょうから、波のうねりが船を大きく揺らします。

ひどい揺れのときは、波に引き込まれていくような感覚を受けます。壁の丸窓から波しぶきや波のうねり具合が見えます。

海の新鮮な空気を吸おうと思ってデッキに出ると、波が高いことがよくわかります。波のうねりに合わせて船が揺れているのもよくわかります。

こうなると、もうだめですね。
体中から力が抜け、足元がおぼつかなくなり、吐き気をもよおします。

どうすることもできません。
周りの人が声をかけてくれます。

「大丈夫?」
「大丈夫です」と答えるしかありません。

気持ちがすっかり萎えて、元気がありません。
覇気がないから、周りからは「やさしく」見えます。
うつろになった眼、とても「やさしく」見えます。

この妹「光子」は函館から列車に乗り継いで、姉が住む小樽まで行きます。

私は高校生時代には船に乗るたびに船酔いしましたが、社会人になるころ、船酔いをしなくなりました。

観光地で観光船に乗ることが大好きです。
そんな船に乗るたび、津軽海峡の青函連絡船での船酔いを思い出します。
 
青森市の合浦(がっぽ)公園にこの歌の歌碑があります。
 
  
posted by GG at 22:42 | Comment(7) | TrackBack(0) | 函館の歌
この記事へのコメント
啄木の『船に酔いて』の一句に(ゑいて)とありますが、えいてとよんでいいのでしょうか?
Posted by 横浜春男 at 2015年09月13日 15:56
横浜春男さん、ご質問ありがとうございます。
啄木の歌は「ゑひて」ですが、発音は「えいて」で正しいようです。私は日ごろ、「ふねによいて」と読んでしまいますが。
次のページを参考にしてください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12105798882
Posted by サイト管理人 at 2015年09月13日 20:34
ありがとうございました。胸のつっかいが
おりた心境です。
Posted by 横浜春男 at 2015年09月17日 15:37
石川啄木の口語歌は自然体でいい。
Posted by 根保孝栄・石塚邦男 at 2016年09月30日 19:19
石川啄木の口語歌は自然体でいい。
短歌やってますが、石川啄木の後継者の俵万智みたいな歌を歌おうとしてもなかなかうまくいかないものです。
Posted by 根保孝栄・石塚邦男 at 2016年09月30日 19:24
根保孝栄・石塚邦男 様

いつも、このサイトをごらんいただき、また、コメントをいただきありがとうございます。
Posted by 管理人 at 2016年09月30日 20:29
石川啄木の北海道時代を背景に、王子製紙苫小牧工場の建設と支笏湖の巨大ヒグマ伝説の話を小説に書いているところです。
Posted by 根保孝栄・石塚邦男 at 2017年07月21日 07:30
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