
石川啄木の歌集「一握の砂」に収められている歌です。
いたずら心で母をおぶってみたら、あまりにも軽くて歩くことをやめてしまった。
母を背負うぐらい簡単にできる大人になった自分、ふざけておぶってみたら、その軽さにびっくりしてしまった。
母にかけた苦労、今でも苦労はかけ続けている、そんなことを思ったら涙が出てきて、ああ、こんなたわむれはするべきではなかったと反省し、歩くのはやめた。
こんな解釈でしょうか。
私の母は大正5年生まれ。90歳を過ぎて耳が不自由、歩くことが少し不自由ですが、しゃんとした生活を送っているのが自慢でしたが、92歳のとき、ちょっとした事故がもとで亡くなりました。
長兄と同居していましたが、先日、用事があって訪問し、会ってきました。
兄の家の近くのスーパーに寄ったら、そこに、母が買い物に来ているではありませんか。
健康のため、朝晩2回、歩いているのだそうです。
そして、あらかじめ私が行くことを連絡していたので、帰りに持たせるおみやげを調達しに来ていたようです。
私の父は、昭和20年に戦死しています。
残された男の子3人、戦後の混乱期を必死に生き抜いてきましたから、母がどれほど苦労したかは容易に想像できます。
もっとも、戦後の暮らしぶりはどの家でも似たようなものでしたが。
私が転勤で栃木県に住んでいたころ、母が当時独り住まいしていた函館からはるばる遊びに来てくれたことがあります。
ちょうど戦後50年に当たる年の夏、靖国神社では記念の催しが行われていました。
暑い日でしたが、車で靖国神社まで行き、おまいりしてきました。
展示されていた資料、なかでも特攻隊員の家族にあてた手紙などには胸を痛めつけられました。
私はこの母と一緒に住んだ期間が短く、いつも気にしてはいるのですが、1時間ちょっとのところに住んでいながらなかなか親孝行ってできないものです。
親孝行なんて、上段に構えずに、ちょくちょく顔を見せに行くぐらいはしたいと思っています。
この次、母に会えるのはお盆かな、お彼岸かな。
草笛のいくつかを拝聴させていただきました。
私にはやはり、越谷達之助bの「たはむれに・・・」を興味深く聞かせていただきました。
ボランティア活動・草笛の演奏を健康に留意してお続けください。
質問なのですが、なぜ石川啄木さんの詩は1首3行なのですか?
石川啄木の「一握の砂」や「悲しき玩具」では一つの歌5・7・5・7・7を3行に分けています。その区切り方は一定の法則で分けているわけではなく、歌の内容、言葉の区切りで、一首ごとに区切り方を工夫した跡を伺うことが出来ます。
たとえば「たはむれに・・・」の歌をその頃の常識的な書き方である1行で書くと、
「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」
適度に漢字が入っていますから、あまり読みにくくもないのですが、3行にに分かれている歌と読み比べてみてください。読むときの息継ぎなども自然に出来て、歌の意味もすごく理解しやすいと思いませんか。
この歌集「一握の砂」が発刊されたのは明治43年(1910年)12月1日のことですが、10月22日に友人あてにこんな手紙を書いています。
「(略)・・・一首を三行に書くという小生一流のやり方にて(現在の歌の調子を破るため)・・・(略)」
従来のやり方にとらわれず、自分なりの形式に挑戦してみたというわけです。
啄木の歌が3行になっていることで、とても読みやすく、歌の意味も理解しやすくなっていると私は思っています。
短歌を2行書きあるいは3行書きにした例は他にもあって、啄木が初めてというわけでもないようです。
啄木の歌には生活に根ざした歌やふるさとを詠った歌が多く、読んでいて「同感!」を感じる歌がたくさんあります。
勉強の合間に、機会があったら、読んでみてくださいね。
勉強になりました。
仰せのとおり、この歌は「悲しき玩具」ではなく、「一握の砂」収載歌です。たいへん、失礼しました。