石川啄木:砂山の裾によこたはる流木に

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函館の大森浜をイメージして詠った一連の歌の一つです。


2011年3月11日の東日本大震災では、
磯も、砂浜も、入江も、港も
壊滅的な被害を受けました。

函館も津波に襲われました。
ただ、被害が大きかったのは、函館港の奥まったところ、
港に流れ込んだ津波が陸地の奥まった地形に増幅されて、地上の建物を襲いました。

ただ、建物を押し流したり、人を呑みこんだりするほどの被害は無かったのですが、
床上浸水に逃げ遅れて、寝込んでいた高齢者が亡くなり、北海道でただ一人の死亡者となりました。

この歌の背景になっている大森浜は、
函館港の反対側、津軽海峡に面した開放的な砂浜です。
おそらく津波による海面の変化はあったのでしょうが、
いわゆるリアス式海岸とはまったく異なる海岸なので、潮位が増幅されることがなかったから、被害を受けるほどにはならなかったのでしょう。

どこの海岸にも、流木が流れ着いています。
どこから流れてきたのか、たいていの木は、樹皮が剥けてつるつるになっていて、
面白い形の木もあります。

どこから流れてきたのかなあと考えるだけでも、広い世界につながる海を感じて、気持ちが大きくなります、ロマンを感じます。

「明星」1908年(明41)8月号に啄木の詩「流木」が載っています。
     流 木

わだつみの青き鼓は
とどろけり、去年こぞも今年も。
しらしらと明けゆく朝も
曇りたる夕も、つね
かはるなきひびきをあげて、
鞺鞳だうたうと碎くる浪の
浪頭日も夜も白し。

白砂の長き渚は
弓のごと海を抱けり。
ちりしける枯藻のなかに
足痕もしるさず。はたや、
沖をゆく帆も見る日なし。
時ありて嵐は來り、
渚邊のところどころに
砂山を築きては去る。

あはれ、その渚の上に
横たはる大き流木、
さしわたし七尺ななさかばかり、
砂山に根をうち上げて、
枝もなき長き幹をば
その半ば海に入れたり。
海鳥ほ時にかがなき、
その上に翼やすめぬ。

われ来り、この流木の
かたはらに、小犬のごとく
寝ころびて、青き鼓の
とどろきをひたにぞ聞ける。
身じろがず、荒磯の砂の
つよき香を直にぞ吸へる。
あなあはれ、覺むるもなく。

この詩を読むと、ずいぶん大きな流木です。

「さしわたし7尺ばかり」
1尺は約30.3cmだから7尺は2メートル10cmほどになります。
「さしわたし」には直径の意味もありますが、直径2mの流木はちょっと大きすぎるので、長さが2mほどと考えていいでしょう。 

その流木に向かって、啄木は何を語りかけたのでしょうか、
声に出して言ってみたら、誰かが聞いていなかったか気になって、あたりを見回した、

「流木」には流浪の旅をする啄木の姿を象徴していると解釈することが出来、そんな愚痴がつい口から洩れたのかもしれません。

啄木が最後に上京したのは明治41年4月のこと、
この詩を『明星』に発表したのは、その3ヶ月後です。

啄木が詠んだ歌は、過去に作った詩や日記などを参照している形跡があり、この歌も、『一握の砂』編纂にあたって過去の作品を読み返しての作歌と思われます。
なお、この歌は雑誌などには発表されておらず、『一握の砂』に初出の作です。

 
posted by GG at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 函館の歌
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