函館の歌:大海にむかひて一人 七八日

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「家」で何があったのでしょう?

一週間ほどもの長い間、
大海原に向かって、泣きたい、
きっと泣くだろうと思って家を出たのですから、
きっと、何かわずらわしいことでもあったのでしょう。

「家」という人の営みに対して、
「大海」という大自然とを対比させて、心の解放を期待したのでしょう。

「明治四十丁未歳日誌」は渋民村から函館〜札幌〜小樽までを記した日記ですが、
青森から函館に渡る陸奥丸船内で記した日記に、海の偉大さを讃える文を書いています。
五月五日 ――青森――(陸奥丸)――函館――
 五時前目をさましぬ。船はすでに青森をあとにして湾口に進みつつあり。風寒く雨さへ時々降り来れり。
 海峡に進み入れば、波立ち騒ぎて船客多く酔ひつ。光 子もいたく青ざめて幾度となく嘔吐を催しぬ。初めて遠き旅に出でしなれば、その心、母をや慕ふらむと、予はいといとしきを覚えつ。清心丹を飲ませなどす。
 予は少しも常に変るところなかりき。舷頭に佇立して海を見る。
 偉いなるかな海! 世界開発の初めより、絶間なき万畳の波浪をあげる海原よ、抑々奈何の思ひをか天に向つて訴へむとすらむ。檣をかすむる白鴎の悲鳴は絹を裂く如し。身をめぐるは、荘厳極まりなき白浪の咆哮也、眼界を埋むるは、唯水、唯波。我が頭はおのづから低れたり。
 山は動かざれども、海は常に動けり。動かざるは眠の如く、死の如し。しかも海は動けり、常に動けり。これ不断の覚醒なり。不朽の自由なり。
 海を見よ、一切の人間よ、皆来つて此海を見よ。我は世界に家なき浪々の逸民なり。今来つて此海を見たり。海の心はこれ、宇宙の寿命を貫く永劫の大威力なり。
 噫、誰れか、海を見て、人間の小なるを切実に感ぜざるものあらむや。
 我が魂の真の恋人は、唯海のみ、と、我は心に叫びつ。

この日記からは、海の大きさに対する感動や未来に対する大きな夢のようなものを感じるのですが、
この歌からは、そんな明るさを感じることはできません。


私の故郷は函館、
だから、海には人一倍の愛着があります。
海にもいろいろな表情があって、

港と砂浜ではずいぶん様相が違います。

私が見慣れた海は、「港」
一握の砂冒頭に詠われた海は「砂浜」、

一概には言えないけれど、
艶歌には「港」が似合うけど、
一握の砂には「砂浜」が似合うような気がします。

釧路の港を題材にした歌も数首ありますが、
やっぱり「港」よりも、
「砂浜」のほうが、合っているような気がします。

  
posted by GG at 16:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 函館の歌
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