釧路新聞社跡地の歌碑 十年まへに作りしといふ

港文館から南へ200mほど歩いたところに、シェル石油のガソリンスタンドがあります。

ここは、釧路新聞社があった場所です。


釧路新聞社跡地 現在はシェルのガソリンスタンド

石川啄木は明治41年(1908年)1月21日に釧路に来ましたが、その前日に釧路新聞社の新社屋が完成し、引越が済んでいました。

その建物は、北海道東部としては初めての本格的洋風建築で、赤レンガ造りの二階建て、一度壊されましたが、当時のままに復元された建物が「港文館」です。

釧路新聞は、1942年の新聞規制により北海道新聞に統合されるまで
この場所で新聞を発行していました。

北海道新聞に統合され、釧路新聞の建物は使われなくなりましたが、昭和40年ごろまで残っていて、ガソリンスタンド建設により、取り壊されました。

啄木歌碑は道路沿いの事務室前の角にあります。
どこにあるのか見渡したのですが、はじめは気がつかず、店員に聞くと、その歌碑の前にトラックが駐車していて、歌碑が隠れていたのでした。

釧路新聞社跡地の歌碑 十年まへに作りしといふ漢詩を


刻まれている歌は、

      十年まへに作りしといふ漢詩を
      酔へば唱へき
      旅に老いし友

「一握の砂」に収められている歌です。

昭和58年8月、釧路観光協会が啄木文学碑として建立した6基の歌碑のうちの一つです。
揮毫は6基とも近藤二堂氏によるもの。

明治41年3月26日の啄木日記です。
三月二十六日
 十二時頃、俗悪愚劣の人間古川萍水に起されて、三時までのお合手。頭が一層痛くなつた。日景君からの間者だと思つたから、妙な事許り云つてやつた。
 少し許り神経衰弱が起つたのらしい。立つと動悸がする。横になつてると胸が痛む。不愉快だ。
 立花直太郎から手紙が来た。
 夜、北東の奇漢子菊池武治君が来た。自分で手を打つて女中を呼んで、ビールを三本云附けた。横山君も来て飲む。既にして唐詩を吟じ出した。自分も吟じた。鷲南筆をとつて柳暗花明の詩をかく。
  柳暗花明楼又楼
  月高沈曲響愈幽
  艶姿二人倚欄立
  笑弄春風心暗愁
 慷慨淋漓、九時頃帰る。
 世の中は色々だ。過去に生くる人、現在に生くる人、未来に生くる人。酒に生くる人もあり、理由なく生くる人もある。
 横に見た人生は未解決だ。涯が無い。波と波。――結論は虚無。

このころ、啄木は新聞社を休みがちになり、釧路を離れる決意は日に日に増してきていたのでした。

 
posted by GG at 22:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 銅像・歌碑
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